ドクターズブログ

初めて人の命を救った日 (2007年8月21日 19:25)

救急車のサイレンが少しずつ近づいて来る。スタッフの顔に緊張が走る。しかし、額にうっすら汗を浮かべ、もっとも緊張しているのは当の私であった。
ここは能登半島の根元、七尾市では最も大きな総合病院の救急救命センターである。時刻は夜の8時を回ったころであった。
昭和60年代初頭といえば二昔も前になるであろう。七尾市は市内と言えども、いたるところに田んぼがあった。夏ともなればウシガエルの鳴き声がうるさいほどに響き、夜は田んぼに蛍の点光が一面に輝くのであった。
ウシガエルの鳴き声が救急車の到着とともにかき消されていく。

「いち、にい、さん、はい!オーケー」
救急隊員の掛け声とともにストレッチャーで患者さんが搬送される。
「バイタル・・・、血圧・・・、呼吸・・・、意識レベル・・・。」
「本日○○時頃△△海岸で・・・、テトラポットに激突・・・、××病院に救急搬送されるも・・・、脳外科専門医がいないため・・・、救急搬送要請があり・・・、脳外科専門医のいる・・・、貴院に転院を・・・。以上です!」
救急隊員の報告が続く。
片方の耳でこれを聞きながら、患者さんの診察を始める。
どうやら、脳挫傷のようだ。すなわち、じわじわと頭蓋内に出血が続いているのだろう。報告によれば搬送先の病院では意識があったという。それが徐々に意識が無くなってきたらしい。
CT検査が必須であるが、その前に気道を確保したほうが良さそうだ。
頭蓋内の出血は徐々に脳を圧迫する。だから、少しづつ意識が落ちてきたに違いない。最後に脳の呼吸中枢を圧迫し始めれば呼吸が停止するだろう。それは即座に「死」を意味する。

そこで、つい6カ月前に麻酔科で研修したとおり気管内挿管を行なう事にする。
ここまでは基本中の基本である。
「喉頭鏡!」
「ちょっと咽の所をおさえて下さい!」
・ ・・
「入った!」
(まず。第一関門クリアだ。ちょっと、ほっとする。)
とりあえず、酸素100%・・・必要に応じアシスト(人工呼吸)の準備。
そして血液検査、同時に CT室へ直行。
私は新米医者であるから、これから先は脳外科専門医にお任せである。
当直事務員に脳外科担当医に連絡を取るようにお願いする。

「どうですか?」
私はレントゲン技師の方に聞いてみた。
「うーん、結構やばいですよ・・。かなり圧迫が進んでいる。」
そこへ事務員からCT室に内線が。
「先生、脳外の■■先生とつながりました。」
「あっ、酒井君。どう?」
一部始終をせき込むようにして報告する。
「そうかあ。分かった。しかし、僕は今学会で**にいるんだよ。明日は午後帰る予定だったけどね。今から車を飛ばしても3時間はかかるよな・・。」
当時は脳外科専門医はとても少なく、特に地方では脳外科医は完全に不足していた時代だった。
「わかりました。先生がいらっしゃるのをお待ちしています。」
「いやいや、その状態では3時間後にはその患者さんはダメだ!」
・ ・・。
「酒井君、君が開頭したまえ!」
「えっ!」
「君は脳外科研修で、何回か僕の助手をしてくれたよね。開頭の仕方くらいはもう分かるだろう。一刻も早く開頭して頭蓋内圧を下げるのだ。出血のコントロールは輸血をしても何とかなるだろう。しかし、頭蓋内圧が亢進し続けたら・・分かるな?」
「しかし・・。」
「しかしもくそもあるか!ほっとけば患者さんはいっちゃうんだぞ。君だってれっきとした外科医だろう。えっ!」
「・・・。」
「大丈夫だ!僕もすぐ向かう。間に合う!」

■ ■先生には随分教わった。新米の私に横から指導をしながら開頭までさせく
れたものだった。大学病院では考えられない事だった。
麻酔科の医師はつい先日まで私に麻酔を教えてくれた指導医だ。
「がんばれよ、バイタル管理はまかせておけ!」
力強い味方である。
剃り上げた頭皮に一気にメスを走らせた。
順調だった。頭蓋骨を外し脳硬膜を開けると、ややどす黒い血液が流れ出てきた。激しい出血がおこっていれば、当然今まで持つはずが無い。基本的には「じわじわ出血」なはずである。
案の定、頭蓋内に溜まった血液を除去すると、新鮮血の出血はさほど多くなかった。
いくぶん患者さんの顔が穏やかになったように見えた。

程なくして脳神経外科部長の■■先生が手術室に入ってくる。
「うまくいっているそうじゃなか!まあ、簡単な手術だけどな・・。後は俺が完璧な腕をみせてやる。」
たちどころに手術室全体が明るくなってきた。
「鉗子!」
「ツッペル!」
「吸引!」
早い!
「よおし。彼は君の患者さんだ。丁寧に縫ってやれ。控室で待ってるぞ。」
患者さんをICUに移し、■■先生を呼ぶ。

「どうだ。君もいっちょまえになったじゃないか。彼は99%助かる。良かっただろう。さて、最後の仕事に行くか。」
「家族へのムンテラ(説明)ですね。」
「うん。」

■ ■先生のちょっと後ろについて説明室に入った。
家族達は不安そうな目を一斉に向ける。
だが、ちょっとおどおどするような感じで、丁寧に頭を下げてくれた。

「・・・というわけでして、とりあえず現在は落ち着いています。しかし、今夜が峠でしょう。・・・。」
廊下に出てから、私は■■先生に食いついたものだ。
「先生!99%助かるんじゃないのですか?」
「人間は難しいものだ。万が一を考え、家族をぬか喜びさせない事も覚えとけ。だが、おそらく明日には君は『命の恩人』って言われるはずさ。」
■■先生が患者から評判がいいだけでなく、大学でも最高の脳外科の教師だったと言われていた事を思い出した。
古き良き時代の外科医修業だったと思う。

こうして、美容外科医は「美容外科医」である前に「形成外科医」であり、形成外科医は「形成外科医」である前に「外科医」である。そして外科医は「外科医」である前に「医師」である。そして医師は「医師」である前に人間である。
こうして私は外科職人を目指していったのであった。

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