ドクターズブログ

美容外科の最近のブログ記事

マイクロサージェリー

手術用顕微鏡を利用した手術をマイクロサージェリーとよびます。
手術用顕微鏡は30年以上前から高精度なものが開発され、より進化し続けています。

PB001.png

現在では顕微鏡手術が確立し、新しい手術法も開発されてきています。
形成外科の世界では自由弁(体の離れた、他の部位より筋肉や脂肪、皮膚などを移動し複合的に移植する際、直径1mmの血管や神経をつなぎ組織を生着させる事)にはマイクロサージェリーが欠かせません。
また、細かい神経の修復手術や、いままで不可能だった、顔面の表面皮膚の微細な構築形成も可能になってきました。

PB002.png特に眼瞼の手術では、肉眼では不可能だった手術がより美しく正確にできるようになりました。これは顕微鏡を使用する事で,
肉眼では不可能だった組織の細かな切開や切除が可能になったり、極細の糸を使い正確に縫合できることで,新しい極小デザインが可能になったのです。また、超ピッタリ縫合できるため傷跡の回復が良く、ほとんど傷跡として見えなくなりますので、手術後の状態もより自然になってきたのです。

PB004.png

PB005.png大型の顕微鏡装置は細かな視線の移動は可能ですが、外科医の大きな体位変換を伴うことはできません。視野倍率はそれほど大きくなくても良い場合には、私達形成外科専門医はウエラブルマイクロスコープを使用する事があります。
かつてルーペとよばれていた簡易な拡大装置とは異なり、極めて小さくした多数のレンズを組み合わせた本格的マイクロスコープが内臓されています。
これを外科医がルーペと同じように装着すると、手術野が術者の頭位に合わせいろいろな方向から俯瞰できるのです。
大型顕微鏡ではどうしても、ある一点を拡大し、そこだけでのマイクロ手術が目的になるのに対し、ウエアラブルマイクロスコープでは、やや大きな手術やで、いろいろな方向を確認しつつマイクロサージェリーができます。
しかし、あまりにも細かい作業になると、大型顕微鏡の出番となります。

PB006.png鼻や口唇の手術では大型顕微鏡では全体像がつかみにくく、また視線をいろいろな角度にしなければなりません。とても細かい一部を除いてウエアラブルマイクロスコープを利用しなくてはなりません。

PB007.png酒井形成外科 酒井倫明



額にまつわるエトセトラ2

hitai_img01.pngさて、前回の続きですが、「前額」という言葉がどこから使われ始めたのか、調べてみました。

古来、成人男子が冠や烏帽子をかぶった時に抜け落ちる部分もしくはチョンマゲを結うために剃った前頭部のことを「月代(さかやき)」といっていたそうですが、月代のことを「額月(ひたいつき)」と14世紀の太平記には記載されています。ですが、「前」とは書かれていません。
1923年の文学には「前額に垂らした束髪...(内田魯庵 三十年前の島田沼南)」などの表現がでておりますので、この間に呼ばれ始めたのではないかと推測されます。

もう少し医学的に調べてみるとします。
解剖学的用語はラテン語ですが、おでこの部分はfrons その部分の骨はos frontalisと言います。
車のフロントガラスと言われるようにfroという語は前方にと言っ意味ですので、現代ではfrons Os frontalisは、前頭部・前頭骨で表されることになり、額は前頭部として一緒くたにされています。

言語を日本語に翻訳する時、それにもともとその単語に合致する日本語がある場合はそのまま使われますが、存在しない場合には新しく単語を作るという作業が行われることになります。
新しい文化が入ってくる時にこのようなことは活発に行われます。(例えば、明治期の西周の「百学連環」は有名です。彼は多くの単語を作りました。)

hitai_img02.png日本で解剖学が発展し始めたきっかけの一つに、かの有名な「解体新書」が作られたことがあげられます。
1773年に杉田玄白らが「ターヘルアナトミア(Anatomische Tabellen)」のオランダ語訳をさらに日本語に翻訳したものになりますが、解体新書には「額者従眉上至髪際也(額は眉上から髪の生え際にいたる部分である」と書かれており、額の上を「前頂」と呼び、頂の下を「後頂」と呼ぶと書かれています。(額は五、前頂は一、後頂は二 画像はすべて国立図書館デジタルコレクションより転載)

hitai_img0304.png

この時にはまだ「前額」や「前頭・後頭」といった言葉は用いられておりません。
hitai_img05.png1822年(文政5年)にベルギーの外科医ジャン・パルファンの著書「Anatomia chirurgica」を、斎藤方策と中天遊が共訳した「把爾翕湮解剖図譜(パルレインかいぼうずふ)」になると、「額骨」、「後頭骨」といった言葉がみられます。

まあ、これは翻訳をするにあたり、日本語にある言葉は、そのまま用いられるわけですから、当然のことでしょう。


しばらくこの「額骨」といった記載は続きます。
医範提綱内象銅版図(1808年)、虞列伊氏(グレイ氏)解剖訓蒙図(1872年)ともにOs frontalisは「額骨」と記載されております。  
hitai_img06.pnghitai_img07.png
hitai_img08.png「額骨」が「前頭骨」に呼び換えられる転換期はいつなのでしょうか?
はたして「前額」という言葉は出てくるのでしょうか?

ここで、1877年(明治9年)日本初の日本人による解剖学書が作られます。今までは洋書の翻訳がメインでしたので、これは画期的なことです。著者は近代日本解剖学の祖こと田口和美博士(東京大学解剖学教室初代教授)です。
多くの解剖を行った経験を元に「解剖攬要」という解剖書を書きます。

解剖学的用語の解説がメインの本なのですが、
あった!ありました「前頭骨」という言葉。
さらに「前頭骨」の説明部分には「前頭部とは・・・・ゆえに別けて前額部、左右眼窩部、鼻部となす」と書かれれております。初めて「前」頭部という言葉を使用していますが、同時に額にも「前」をつけてしまっています。この解剖書以降の手術書には「前額部」といった言葉が良く使用されることになります。

ということで、前額部という言葉はfrontalisに対して「前」という意味合いをだすことと、古来の日本語である額という言葉を残すという意味で「前額」という言葉を生み出したのではないかと考えますが、詳しい経緯は残念がらわかりませんでした。

ちなみに田口和美博士は当院から15分程度の染井霊園に眠っていらっしゃいます。ソメイヨシノ発祥の地として、春は美しい桜が舞い散る場所ですね。
hitai_img09.png
(出典 : 【豊島区】雑司が谷霊園・染井霊園MAP)

さて波平さんの額の広さはどうなんでしょうか。
左右の「もみ上げ 」の延長線上が、おおよその前頭骨の上縁ですので、そこまでが額であると言えます。
そうみると、波平さんの額は以外に狭いかもしれません。

ということで、次回?は額にできる鬼の角?について考察してみたいと思います。

酒井形成外科 苅部大輔



最近、急に寒くなって参りましたね!
寒いといえば、最近めっきり額(ひたい)が後退して、
大好きな俳優ジェイソン・ステイサムに部分的に近づいてまいりました
・・・かるべです。

img_hitai01.png額(ひたい)について何かと考えていたところ、少し気になることが。

良くオデコのことを「前額部(ゼンガクブ)」と言う方が多いですが、
この言葉、よく考えると何となく違和感を感じませんか。
「前」ということですが、オデコに横も後ろもないので、
あえて「前」をつける必要はなく、
「額部(ガクブ)」というのが本来正しいはずです。
(後額部とか上額部とか言いませんよね。)

まあ、どうでもいいことなのでしょうが、
一度気になると、どうも抜け毛が増えてくる気がするので、少し調べてみました。

どうぞ不毛(まだ毛はありますが)な話にお付き合いください。

まず、辞書を調べてみますと、
 『額(ひたい)とは顔の上部の髪の生え際から眉毛の間を差す』
と書かれております。
ということは、波平さんの頭はほぼすべて額なのか?という疑問がわいてきますが、それはまた後ほど。
 読み方としては、古来「額」と書いて「ぬか」と呼ばれていた一方で、頭で日の当たるところ「直日(ひたひ)」と呼んでおり、それが合わさり「額(ひたい)」と呼ばれるようになったようです。

さらに、「額」という漢字の発生について調べると結構面白いことがわかります。

額の漢字の成り立ちとは

img_hitai02.pngここで、額という字を見ると、「客」と「頁」という文字からできていることがわかります。
「客」という字は「家」+「各」が合わさって作られており、「各」は「(木の枝などが)つっかかる」状態を表していることから、「客」は「家の中につっかかる」、「家に泊まる」といった意味になるそうです。

「頁」は顔を表していますので、「客」と合わせて、「家の中でつっかかる顔の部分=家でぶつける所」、ということで「額」という漢字ができあがったとのことです。
つまり、軒を通る時に良くぶつける所が「額=ひたい」、
ふつうは前向きに歩くわけですから、前側にしか存在しないわけですよね。

となるとますます「前額」はおかしい!
ということで、「前額(ぜんがく)」という言葉はいつころから出てきたか、医学的に正しいのかということを、軽く調べてみました・・・

と思ったら、少し長くなってしまったので続きは、次回にまわしたいと思います。
次回 額にまつわるエトセトラその2 「波平はどこまで額なのか」お楽しみに

酒井形成外科 苅部大輔



切開法重瞼術の今

45278181_m.jpg

二重まぶた切開法で行った二重が1年くらいで取れて、もとの一重になってしまった。

こんな、嘆きをときどき聞くことがあります。
二重まぶた埋没法はいずれ一重に戻ることや、元の状態に戻ることがあることはご存じの方が多いようです。
でも、切開法でのふたえ手術では、永久的に元に戻らないと思っている方が大半なのではないでしょうか。

確かに、切開法で行った重瞼手術ではもとにもどることは少ないといえますが、100%元に戻らないわけではありません。

一重まぶたの方は解剖学的に理由があって一重の状態になっています。それは瞼板前軟部組織が多かったり、眼瞼の皮膚が厚かったりして、上まぶたと瞼板との間の癒着が曖昧になっているためです。
このような一重まぶたの方では、二重まぶたの方と比べ折り返し分の皮膚が余剰皮膚となり、弛みを伴うことも多いのです。

というわけで、一重まぶたの方を二重にする重瞼手術では、まず、瞼板と眼瞼皮膚との癒着をしっかり作る事が肝心になります。

二重まぶた埋没法では、糸の張力だけを利用して数カ所に瞼板と皮膚を接着します。皮膚と瞼板とのお癒着はかなり曖昧ですが、糸の張力があるかぎり二重の線はキープされます。
しかし、いずれ糸は劣化し切れてしまいます。そうなると癖がつかない限り、もとの一重まぶたに戻ってしまうというわけです。
また、二重まぶた埋没法では皮膚を切開しないため、余剰皮膚への対処はなんら行えません。

さて、二重まぶた切開法での重瞼術では、余剰皮膚の切除が可能になります。
また、瞼板前組織(眼輪筋を含む軟部組織)の適度な切除にも含め、重瞼線の正常化がより確実に行えます。
時には、眼輪筋下に脱出している余剰な眼窩内脂肪の切除やROOFとよばれる上眼瞼眉下の眼輪筋下の脂肪を適量切除する場合もあります。
この様な処置のおかげで切開法の重瞼術では埋没法に比べ、より高度な重瞼の作成や元に戻りにくい重瞼線をつくることができます。

ここで、ちょっと知っていただきたいのが、傷痕の美しさと重瞼線の確実性の相関関係です。
二重まぶた切開法の手術では、重瞼線における皮膚と瞼板との癒着がしっかりしればするほど二重はくっきりして、形態を長期維持できます。そのかわり、目を閉じたとき重瞼線の傷痕が目立つことが多いのです。
逆に傷痕をきれいにするあまり、癒着が甘くなると、重瞼があいまいになりがちです。

そこで、大切になるのが、瞼板前組織の切除と瞼板へのしっかりした癒着構成となる皮下の中縫合(ダーモスーチャリング)なのです。現在では、極細のナイロン糸(マイクロサージェリー用糸)や吸収糸(7-0PDS糸)があるため、術後取れにくい二重と同時に殆ど目立たない自然な傷痕に仕上げることも可能になってきました。

こうして、現在では切開法の重瞼術を受けることによって、美しく自然な重瞼線でありかつ曖昧になりにくい二重まぶたの形成が実現できるのです。

二重まぶた切開法の手術についてはこちらのページをご参照下さい。
■ 酒井形成外科 | まぶた | 切開式二重まぶた

酒井形成外科  酒井倫明 (日本形成外科学会認定専門医)



ミューラー筋は挙筋の一部と思われてきました。しかし、近年驚くべきことが発見されたのです。
私たち進化が進んだ動物のほとんどの筋肉は一つの筋肉の中に瞬発力を出す速筋(赤筋)と持久力を出す遅筋(白筋)があります。しかし、現在の筋肉の進化以前では赤筋と白筋は別々に存在したようです。まず、速筋が働き筋紡錘に刺激が伝わると反射により遅筋が攣縮し強力な筋力が生まれるといわれています。速筋と遅筋はそれぞれ異なった神経を介して運動がおこっていたため筋肉そのものが別々に存在していたというわけです。進化の過程でコンパクト化を進めているうちに同一筋肉内に速筋と遅筋が収まっていったと想像されますが、眼瞼挙筋だけは、その進化から漏れたようです。
つまり、眼瞼挙筋で速筋がミューラー筋、遅筋が眼瞼挙筋そのものだったというわけです。そしてミユーラー筋は交感神経支配、眼瞼挙筋は童顔神経支配だということが分かっています。



酒井形成外科の美容外科・美容皮膚科のご予約はこちらから