ドクターズブログ

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メイク.JPG 

さて、先日よりメイクアーティスト

『永澤有希』 さん

に出張メイク指導に来ていただけることになりました。

 

手術や施術を行いたいがどうしてもダウンタイムが...

といったダウンタイムのお悩み、

ニキビ跡や、施術後のメイクについてのご相談も頂くのですが、

 

当院の医師、そろいもそろって化粧っ気のない「男」・・・なのであります。

 

少しはお姉系が入っていればいいのですが、むしろ完全なオヤジ系(汗)

どうしてもメイクのことはおざなりになりがちでした。

 

そんな所に素晴らしいお話が。

企業コンサルトをされていながら、

著名な「嶋田ちあき」氏より直接メイク指導を受けられ、

メイクアーティストの資格を持つ永澤さんが当院のメイクを担当して頂けると!

さらに、当院に出張して頂けるとのこと。

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

メイクに興味があるけど遠くまで行くのが・・・とか、

腫れた状態で外に出るのは・・・

といったお悩みをお持ちの方、是非ご利用されてはいかがでしょうか。

 

完全予約制になりますので、ご希望の方は受付までご相談下さい。



スーパーヒアルロン酸は恐い

これらは、一部の心ない美容外科医から「スーパーヒアルロン酸」と呼ばれています。

このようなものは、きわめて危険で、この注入を受けた多くの日本人患者さまでは、数年で注入部位に固い膨らみを作り、大きな変形をきたしたと報告があります。

もともと、ヨーロッパ(特にオランダ)で開発され一時流行ったのですが、白人の間でも変形が問題になり、現在、訴訟問題に発展していると、ヨーロッパの医学雑誌に書かれていました。

とにかく「スーパーヒアルロン酸」だけは注意しましょう。変形をきたした後ではいくら賠償金をもらったとしても、あなたの顔は一生治らないのですから



脂肪がエネルギーとして体内で燃焼するのには、脂肪酸が筋肉細胞のミトコンドリアという 器官に取り込まれなくてはなりません。それにはL-カルニチンが必要なのです。
L-カルニチンは、体内で2つのアミノ酸とビタミンCから作られます。しかし、加齢とともにその生産量は低下し、加齢性の肥満の原因といわれています。そこで、L-カルニチンをサプリメントとして摂取する事が推奨されているのです。
L-カルニチンとαリボ酸を摂取して運動を同時に行うとダイエットに効果的

p_img9.jpg脂肪の代謝に対し、ミトコンドリア内での糖の代謝にはα-リポ酸が必要です。食事として摂取した糖分が脂肪に変化する前にエネルギーとして燃焼させるためにはα-リポ酸が活躍するのです。また、この反応での活性酸素の排出を抑える効果もあり、抗酸化成分としても有名です。
α-リポ酸は体内で生合成され、糖をエネルギーにうまく変換させることで疲労を減少させることも知られています。そこでL-カルニチンとα-リポ酸を同時投与することにより体内に存在する脂肪と摂取されたブドウ糖をスムーズに代謝、エネルギー化し、疲労を軽減するとともに体脂肪や内蔵脂肪の燃焼させるのです。ただし、単に身体に摂取しただけでは効果はありません。必ず、運動を同時に行なう必要があります。



photo6a.jpgこの校舎の裏手を少し歩くと有名な北大ポプラ並木があり、そこには試験農場が広がっているのである。残念なことに平成16年に北海道を襲った台風18号の猛威でかなりのポプラが倒壊し被害がでているようだ。かつての威風堂々たる並木道はその面影を残すに留まっている。ちなみに現在ポプラ並木は再生中であり、その再生方法は北大の基本理念である「フロンティア精神」を表していると言われている。

あこがれの医学部はなんと2階建てのややみすぼらしい校舎であった。しかし、歴史があるのだろう、その奥に何棟もの古い校舎が続き、最奥手に、15 階建てくらいの巨大な北大医学部付属病院を抱えていた。どうやら付属病院は一般道に面し、札幌市内最大の公的医療機関として機能しているらしかった。病院建物は真新しく医学部校舎と対照的だ。

北大キャンパスには白人やアジア系の学生も多く、国際色にあふれている。外国の公園を彷彿とさせるキャンパスは多くの学生らしき若者が思い思いのスポーツウエアに身を包みイアフォンを耳に当てジョギングをしている。傍らの芝の上には数人の学生が満面に笑みを浮かべ歓談している。きれいな水面をたたえ、流れを作る池にはたくさんの水鳥が群れをなし、ベンチにも人が多い。
こんな最高の環境の北海道大学で学んだ学生達は大きな心を持ち世界に羽ばたいていくのだろう。
まさに、「青年よ大志を抱け」である。
(酒井形成外科 医師 酒井倫明)



札幌駅前は近代的なビルとともに美しく都市整備されている。まるで丸の内のオフィス街を思わせる街に突然のように北大の正門が現れ、その背景は広大なキャンパスの森に変っていくのである。


photo3.jpgキャンパスはほぼ完全に公園化していて、学生より一般市民や観光客のそぞろ歩きが目立つ。あたかも市民公園のなかに大学の建物が点在するといったおもむきである。大学構内の道路はどれも広く、どこまでも街路樹が並んでいる。歩道から校舎はさらに奥にたたずんでいるため、おのおのの建物は100mくらいを隔てている。


photo4.jpg東京大学もかなり広いキャンパスを保有しているが、北大はその比では無い。この大学構内の道路わきにそれぞれの学部名が石標に刻まれている。
なんといっても農学部は歴史を感じさせるのだ。

(酒井形成外科 医師 酒井倫明)



実は私は北海道大学医学部に憧れていた。諸事情でついに受験すらできなかったが、当時北大にあこがれている受験生は多かったと思う。
かの有名なクラーク博士の「青年よ大志を抱け」の言葉がこだまする、日本最大の北大キャンパスは、驚く事に札幌駅から徒歩5〜6分の所に存在する。
photo5.jpg
札幌農学校が発端となる北海道大学とくれば、その研究用農園や牧場も付属し、日本最大の広さを誇るキャンパスは市内の外れにあると思っていた。

(酒井形成外科 医師 酒井倫明)



初切り

「A,ベービー、3カ月、CL,CP。・・・・」
教授がクリニカル・カンファレンスで集まった若手医師達に目を巡らす。
CLとはクレフトリップ、すなわち口唇裂、CPとはクレフトパレート、すなわち口蓋裂を表す。
教授と目が合った。
「酒井はまだ初切りが無いな!よし、酒井だ。スーパーバイザーはH講師、しっかり指導してやれ!」
H講師が私に目配せをしながら答える。
「分かりました。」
私は内心(やった!)とばかり目を綻ばせる。
「はい!・・ありがとうございます。」
つまり、教授から『初切り』の許しが出たというわけだ。他のヤツに先を越されがちだった私も、やっと研修医(レジデント)として胸が張れる、というものだ。


クリニカルカンファレンスは毎週月曜日医局で開催される。翌々週の手術の術者を決め主治医が任命される。教育目的で若い医師に術式を説明させたり、意見を言わせたりもする。また難しい手術の意見交換で激しいバトルを繰り広げることもある。

医局というと特別な部屋を連想するかもしれないが、たいていは汚い倉庫のような所である。当時我々の属していた大学の形成外科学教室の医局は旧病舎のの4階の角にあった。もはや病室として使われていない昭和30年代の建物の一隅である。手あかで錆びきった真鍮のドアノブ。大きな音をたてるドア。真ん中に30人くらいが囲んで座れるようにして並べられたスチール事務机。正面にはやや大きなホワイトボードが掲げてある。しっくいの壁はところどころ穴が開いている。窓は今では見る事のできないスチール性で一部開閉ができなくなっていた。書棚以外は窓と壁際に安物のカウチが並べられている。当直の晩にここでうたた寝をし、白衣を掛布に朝まで横になってしまった事も多い。

今では信じられない事だが、当時は医局の机に吸い殻が山となった灰皿がいくつも置かれてあったのだ。
教授がいなければ、みんなぷかぷかタバコをふかしていた。


クリニカルカンファレンスの時はこんな医局にほとんどすべての形成外科医局員が集合し、彼らは暑く蠢いていたのだった。机周りに助手以上のスタッフ、まわりのぼろカウチには若い見習いスタッフが陣取っている。

カンファレンスが終わると若手医師の勉強会を兼ねるデザイン会が引き続く。
デザイン会では、研修医が若い順に、ある手術患者さんの手術デザインを白版に描かされる。教授に名前を呼ばれると皆の前で説明を加えながら絵を描いていくのである。まるで美術学校のようだ。
1年生は、前へ押し出されたものの顔だけ真っ赤にしてなにもできない。学年が上がると中には「ほ〜」と感嘆の声を挙げられ、得意そうにする者もでる。

最後は教授が、海外の文献等広い知識を披露し総括が行われる。
続いて、英語論文の詳読会が行われる。ここで英語のテクニカルタームを覚えるとともに、基礎から応用まで形成外科の学問を習得するのである。

最後に学会発表の演習、論文掲載の報告、基礎医学また博士号研究等が学年別に報告される。教授はもとより先輩医師の学者ぶりや高度マエストロぶりにいつもあこがれをいだかせられた。半面、いぶかしがられる先人にどうどう反発をする後輩医師もいて、なかなか人間模様が複雑であった。
しかしながら、先輩は絶対的存在という軍隊的発想はいまだ衰えずの感があり、
これがまさに大学医局の年功序列なのである。


大学の医局には各科別のトップに主任教授が一名在籍する。会社でいうと部長にあたるのだろう。時に院外教授が一名、主任教授が特に優秀と認めた医局スタッフのセカンドで名目とも教授の器の医師が専任されている。そして助教授が1〜2名、講師が2〜3名、これらがいわゆる役職である。その下に助手が数名いる。いわゆるスタッフドクターと言われる医師は助手以上を指し、助手の位から大学から給与が出るのだ。
研修医を卒業し専門医試験に合格し、めでたく専門医と認められても、医師は大学ではなかなか助手にはなれない。席が空かないのだ。このような若手医師は前期助手等と呼ばれ、医局には属しても給与は支給されない。

この時期、若手医局員はバイトで日銭を稼いでその日暮らしをする。夜勤はもはや常識である。48時間勤務も「普通」、労働基準法なんてまったく無視されている。
研修医(レジデント)とは医師国家試験に合格し世間体には医師になった後、医局入局試験に合格した、修業者達である。入局後7年にわたり専門医になるべく訓練を積まされるのだ。研修医はれっきとした医師ではあるが「半人前」のレッテルである。がんばらないと7年後の専門医試験に落ちてしまう。


しかし、「一人前」と言われる「専門医」になるには7年も冷や飯を食うわけでこれがかなり辛い。医学部に入る前に浪人し、医学部時代に留年し、医師国家試験も数回落ち、なんて人生を無駄にしてしまった者にとって、その後の専門医への7年の月日が長過ぎて、「もう!やめだ!」とばかりにドロップアウトする輩も多いと聞く。
例えば、脳外科を目指していた若い医師が5年でドロップアウトして、次に形成外科に入局してもそこからまた7年なのだ。
試験に弱い御仁もいる。けっしてぼんくら医師とは思えない人が
「おれ、来年になっちまった・・・」
とがっくりしている事もある。


この研修医時代最大の「華」が「初切り」である。
各大学の教室(これを医局とも言うのであるが)にはテーマとなる治療法や研究がある。
私の属している大学の形成外科学教室では唇裂、口蓋裂がメインテーマである。だから、我々にとって、研修医時代にはじめて唇裂や口蓋裂の手術することが「初切り」なのである。


もちろんいきなり手術をするわけではない。初切りまで4年間くらいは教授や先輩の手術を幾度となく見学する。毎週のように勉強会で知識をたたき込まれる。それだけではなく助手として手術に参加し教科書では得られない実技を学ばせてもらう。
例えば、小さな三角形の皮弁の角度やその位置により微妙に口唇の形態を変えていく技、意味のないようで実は要となる一本の糸、等々。
しかし、教授や先輩達は甘くはない。

「先生、今の縫い方は何かわけがあるのでしょうか?」
「うむ、よく気付いたな。実はな・・・」
と、先輩や教授を攻めていかねば何一つ教えてくれない。
そして、彼らはひそかに我々を評価しているのである。
(そうか、こいつも大分分かってきたようだ。)
となって、はじめて初切りをさせるという手順なのだ。  


わたしの属していた大学病院では「十八番(おはこ)」というくらい形成外科が有名で手術件数も日本でトップをキープするくらいであったから、火曜と木曜の大学病院の手術室はほとんどが形成外科の手術で埋め尽くされていた。
当時のこの大学病院の中央手術室はかなり古びていた。まず、壁がお風呂屋さんのようなタイル張りであった。そろそろモジュラー手術室といわれる薄いグリーン色のホーロー敷きの壁があたりまえの時期にである。
12台の手術ベッド数も大学病院としては少ない方であろう。こんな中で1日40件にも及ぶ手術が行われていた。
なんといっても唇裂や口蓋裂の手術が軒を並べるのだ。
時に顔の骨の奇形や耳が無い子供、指がくっついていたり欠損している赤ちゃんもいる。
交通事故等で受けた顔の傷痕、顔面骨の骨折。
時にやけどの植皮もある。


その中で私を魅了していたものは目や鼻の微妙な形態形成の手術であった。
眼瞼下垂の手術では、二重まぶたを形成しながら目をぱちり開くようにする。手術する前と後では患者さん全員がとてもかわいらしく変化するのだ。
機能の改善だけでなく人としての美しさを表現する芸術的な手術だと感心したものだ。
鼻の手術も微妙だ。目のように派手ではない。しかし、気品さとでもいうのかとてもスマートな手術だと感じた記憶がある。
とにかく頭のてっぺんから足指の先まで、全身あまねく手術対象とするのが形成外科であった。


さて、この赤ちゃんの主治医は私である。まだ、生後3か月。
やさしそうな麻酔科のベテラン医師により深い眠りに落ちている。
右側の鼻の穴から唇にかけてきれいに割れている。まだ、歯は生えてない。
目が大きく二重まぶたがくっきりした、とてもかわいい女の子だ。
どうして口が割れて生まれてしまったのか?
原因は分からないが、世界で最も多い奇形である。


麻酔科の医師に挨拶をし、ピオクタニンという青色のインクと消毒した爪楊枝で赤ちゃんの唇に手術のデザインを描く。
基準点、それから伸びる線。
ポイントは小さな三角皮弁だ。この大きさや角度が手術後の上唇の弓状形態(キュービットボウ)に大きく影響を与えるのだ。
隣に座る講師のH医師を振り向きながら、
「こんなもんでいかがでしょうか?」
「これで縫ったら、左と右が合わないジャン。三角も・・・ほら、上過ぎない?ねえ!」
という感じで、自信たっぷりのデザインは虚しく消え去るものである。


おおよそデザインができても教授にチェックしてもらうまではメスを入れることは許されない。教授はあちこちの手術台を回っているため、しばらくはウエイティングだ。

「どうだ?・・」
やっとボスのお出ましである。赤ちゃんの顔に描かれたデザインを見たのはほんの一瞬だった。
「まあ、よかろう。始めなさい。」
「ありがとうございます。」顔をあげてみたが、教授はもう後ろ姿である。
H先生を見る。ちょっと眉を上げうなずいた。


「お願いします!」
これが手術始まりの恒例の挨拶である。
メスを皮膚に入れた瞬間が手術の始まりではない。術者が「お願いします。」と軽く頭を下げるのが、どんな科の手術でも手術始まりの合図なのである。
術者が麻酔科医、看護師、助手に「この手術がうまくいくように協力してください」と挨拶をする一種の儀式なのかもしれない。


手術そのものが初めてではないのでデザイン自体が信じられれば、メスはとどこおりなく進む。ただし、形成外科は細かいメスさばきを要求される。メスの勢いは大切だがスピードは禁物であろう。
特に初心者なればなおさらである。次から次へと先を急ぎたくなる気持ちを抑えるのだ。
口輪筋のつり上げ作業にさしかかった。簡単なはずだったのだが、うまくこのあかちゃんの口元が表現できない。
「あれえ・・・?」
「・・・・・。」
H先生は何も言わない。しばらくすったもんだする。
ついに耐えきれず、
「先生・・・。」
「支持部位が筋の端すぎるんだよ。ちょっと中に針をいれてみい。そおそお。筋が少しだけ回転するだろ。で、しっかりANSに縛り付ける。どおだ。」
「なるほど!了解です!」
「君が最初にやった感じでいい場合もあるけど、口角が下がっている場合はこんなテクもあるのさ。」
そういえば、大分前に先輩が手術中悩んでいたっけ、なるほどね。
あの時はまるで分らなかったし、気もつかなかった。


小三角弁の縫合に入る。縫合針をさらに小さいものに変える。
ここで意外に深く針を通すのがコツだったはず。
なんとか通った。と思ったとたん、
「ダンチ!・・やり直しだ。」
H先生の激が飛ぶ。
皮膚の縫合面が段違いになっているということなのだ。さすがよく見られている。
形成外科の縫合には「まあ、いっか。」という妥協は許されないのだ。
今の私は顕微鏡を使って完璧を狙っているが、思えばこのときから皮膚と皮膚の縫合面の高さを合わせに躍起になり始めたのだろう。
そして手術手技は終了した。あまり手術時間が長いと指導医にメスを取られてしまう。おそらくぎりぎりだったと思う。
しかし、まだ手術は終わっていない。教授の最終チェックが入るのだ。
看護師が教授に終了を伝えに走る。


厳しい表情からふと目元がほころび、教授は一言告げる。
「どれ。・・・ここがちょっと長すぎるなあ。・・・あとはいいか。H先生あとはよろしく。」
「ありがとうございました。」
後ろ姿の教授はちょっと手をあげるといそいそと立ち去った。


最後の教授指摘部分を修正し、やっと手術を終了する。
手術終了の合図は皆に向かって
「ありがとうございました!」
と挨拶をするのである。
麻酔科医師が全身麻酔をさまし、あかちゃんが鳴き声をあげはじめるのを待つとしよう。


こうして行われた手術結果は教授の行なったものとほとんど差は無い。確かにデザインや手順はまず私が考えたものだが、実技では次々に修正されていく。ある意味で「教授流」になっているのである。
細かな技術も細部にわたり教授の技法が伝授されているのだ。
縫合技術さえしっかりしていれば唇裂初心者の私でさえ、その手術は完全に教授の、模倣として完成度は高いのだ。
大学病院という研修場所で私たち若手医師は次の世代の師匠と呼ばれように、秘密の技を伝授してもらうのである。いずれは独立しどこかで師匠とよばれる時まで日本最高位の医師から奥義を盗み自分のものにしていくのだ。


患者さんの口コミや評判の中に、「・・の病気なら・・病院がいい!」というのがあるが、これはつまり、その病院には師匠がいるということなのだ。
もちろんそれをあがめる弟子も多数集まってきてレベルが全体に高いのである。
その師匠に初舞台を仰せ付けられれば、医師としていっちょまえの第一歩であろう。
しかし、まだ、道は遠く長い。



「最近、若い人の間で人気があがってきて、評判も急上昇なんですよね。」
という彼の言葉を信じたわけだ。
残念ながら結果は
「東京の札幌ラーメンと大差無し」
だったのだが・・。

その晩、私が宿泊するホテルはJR札幌駅の上にそびえ立つ34階建ての近代ビルディングだった。エレベーターの上昇は動きを感じさせないが、耳が遠くなる。
「このホテルは札幌市内で最も高いビルです。あそこが北大キャンパスでございます。日本最大のキャンパスを誇っています。
展望スパからは反対側のすすきの方面が御覧になれます。ではごゆっくりと・・。」
ベルボーイは鞄を置くと、大きなガラス窓を指さしながら、簡単な説明をしてくれた。
photo7.jpgホテルの窓辺に立ち、暮れなずむ札幌の町を眺めていた。夕焼けがおさまる頃、点々と街明かりがともりだす。
景色が夜景に変わり始めた頃、左手に「幻の滑走路」が浮かび上がっているのに気がついた。
(酒井形成外科 医師 酒井倫明)



千歳空港から電車で札幌市内に向かう。電車で40分位の行程だ。久々に訪れた札幌駅前は随分近代的になっていた。
目的会場に付く前の腹ごしらえに評判の良い札幌ラーメン屋にでも行こうと思い、タクシーに乗る。
「札幌ラーメンのうまい店はどこかなあ?」
運転手さんに聞く。
「ホウリュウは老舗だね。スミレは脂が多いから邪道だよなあ。駅前のビルの8階にラーメン共和国っていうのがあってさ、意外にうまい店が出店しているよ。」 

「札幌の街も随分近代的になったねえ。しかし、今時分はいいだろうけど、冬は運転はたいへんだろうねえ。」
「まあね、でも主要幹線道路は雪が積もらないんだ。」
「ああ、道路の真ん中にスプリンクラーが付いてて、水が出るんでしょ。」
「違う違う!東北地方と違って、ここは寒さのレベルが段違いだからねえ、水まきゃ、一発で凍っちゃうわけよ。つまりスケートリンク状態道路、ねっ、やばいでしょ、はは・・。」
「じゃあどうして凍らないの?」
「熱線が道路に埋まっているわけよ。もちろん除雪作業もすごいけどね。」
「ふ〜ん。なるほどね。・・・・・・ところで、東京では「北の問題」とか言っているけど北海道の人達って、どう思っているんだろうね?」
「道民はあんまり気にしていないみたいだよ。でもさ、「有事」に備えて、札幌市内にも隠れ飛行場というか滑走路があるみたいだよ。まあ、いざって時にゃ
木でもたおして滑走路になるんじゃないかな、よく知らないけど・・。」
「札幌市内に隠れ滑走路?・・・へええ〜・・・。たしかに東京広しといえども東京都内に隠れ滑走路があるなんて聞いたこと無いからなあ。札幌はすごいねえ!」 

車外の風景を横目に、よもやま話しをすること10分くらいだろうか、運転士さんお勧めの「信玄」という札幌ラーメン屋の前で車を降りた。
(酒井形成外科 医師 酒井倫明)



「で、ここで皮下をこのくらいの厚さで剥離する。まあ、こんなもんかな。
ねっ、見える?・・・でだ、ちょっと止血して、・・・おっと、ここも出ているな・・・。じゃあ、針糸!、4--0白でいいかな。」
「先生、なんでこんなに剥離するんですか?」
「だからさあ、テンションを低めるためさあ。ほら、こうすると皮膚はびろーんって伸びるだろ。」
「・・・?」
「まあさ、そのうち分かるって。」
「さて、ここで剥離した皮膚をちょっとフックでめくってと、このあたりかな、こうして針糸を真皮にかけるように通すっと。・・・で、こいつをちょちょいと結ぶんだ。ちょってやってみい、練習してたんだろ?」
「はい!」
「なにやっていんだよ、もっとしっかり結べよ。・・・まあさ、最初はしょうがないけどさ。練習しとけよ。」
「・・・すみません・・・」
入局したてのフレッシュマン医師が先輩医師について手術に入ると、こんな感じである。まるで、手品を観ているようで、さっぱり要領をつかめない。
つい最近まで国家試験の受験勉強しかしてなかったのだから、もちろんあたりまえとは思う。しかし、形成外科職人をめざし形成外科に入局したわけだから、なんかとてもくやしいのである。
「先生、ちょっと縫ってみてもいいすか?」
「だめに決まってんだろ!素人に大事な患者様を任せられかってんだ。アホ!」

ますます、くやしさが込み上げるが、医師の世界では先輩は絶対的存在だ。
「まずさあ、スポンジあたりで練習しろや!。いい口コミを教えてやる。東急ハンズで売っているスポンジはいいって評判だぜ。」

後日、休日の日に評判の東急ハンズに行って、当のスポンジを購入する。以外に値段が高い。たまたま通りがかった、違うフロアーにクッションを作るコーナーがあって、中身のスポンが売られていた。さっきのものに比べるとかなり安い。なんだと思いこれも購入する。
手術見学の際、手術部の看護師にたのんで、使わずに捨ててしまう、余った糸をもらってくる。1回使って捨てる使えそうな針ももらう。外科手術の材料はすべてディスポーザブル(使い捨て)でけっして失敗して捨てたものではないわけだから、けっこう使えるのだ。あとは持針器(外科針を支持し組織に糸を通す、外科ではおなじみの道具)とピンセットを借りる。ハサミはどんなヤツでも良い。
さっそく例のスポンジを切って、1cmくらいの厚さで剥離し、糸をかけてみる。
高いスポンジは、なんかもったいないような気がして、安いやつから使ってみた。ところが安いスポンジはスコスコしてうまく糸がかからない。ちょっと力をいれればすぐちぎれてしまう。なんとか太い糸で大股に糸を掛け結んだ。辺縁はまったく合わさらず。左が右に覆いかぶさってしまう。
「なんだこりゃ!・・・」
がっくりしてしまうが、めげずどんどん練習する。
ちょっと慣れ出したので、さっそく評判のスポンジを使ってみた。
全然感触が違う。ちょっと小さめの針や細目の糸もスムースに掛る。
「なるほどね。やっぱこいつじゃないとだめなのか。」
次の休日に奮発して、この評判スポンジを大量に購入した。
後日、このスポンジによる練習が、形成外科では基本技術である「皮弁(フラップ)」のテクニックの習得と、理論より体が覚える感じを掴むのにおおいに役立った。
その後、鳥の皮つきもも肉を買ってきて、板にくぎで肉と皮膚を貼り付け、これをメスで切って縫ってみる。多少は練習になるが、ぬとぬとして針のすべりが悪すぎる。こいつはあまり役には立たなかった。
次に、革ジャンの裏を切って縫ってみた。今度は硬すぎて針が曲がってしまった。こいつもダメだった。

フレッシュマンの医師は週に2回ほど先輩医師に付いて当直を経験する。当直室は狭く、おそらく監獄の部屋に似ているのだと思う。2段ベットでフレッシュマンは上のベッドで休む。
しかし、当直はチャンスだ。なにしろ昼間の手術では、絶対出番は無い。しかし、急患の場合、先輩が患者の処置をまかせる場合が多いのだ。もちろん手が付けられないほど重症の場合は別だが。
当直の夜はたいてい2〜3人の患者さんが、どこか皮膚を切って来院する。ときには救急車で来院されることもある。
ププッ、ププッ、救急センターからのコールだ。
「・・才男性。前額部を切って来院しています。至急お願いします。」
「ちょうどいいや。おまえやってみい。」
「ありがとうございます!」
ニコニコだ。しかし、先輩の手前自分の評価にもつながるので失敗は許されない。
まず、局所麻酔。
「ここ痛いですか?」
酔っぱらった患者さんが答える。
「ぜーんぜん、いいきもちだよーん。」
まず、デブリドメントだ。印をつけ先輩の顔をうかがう。
(OK!)目で答えてくれた。
デブリドメントとは挫滅した傷の周囲をメスできれいに切り取り術後、傷跡がきれいに仕上がるようにする基本テクニックだ。
印の上をやや内側にメスの刃に角度をつけすーっと刃を滑らしていく。
と、頭では分かっている。しかし、キキッという感じで引っかかってしまうのだ。手が震えてきた。
「おいおい、先生よお、あんた新米だろお。震えてんぜえ。俺は酒の被害者にゃなったけどよ、医療ミスまでされちゃあ、かなわねえよなあ!」
患者さんがおどけたように言う。
額に汗が浮かんでくるのが分かる。

とその時、救急外来の主任看護士の通称「評判のおばちゃん」がちょっと怒ったように患者殿に告げる。
「・・さん、先生はいまね、細かいところを丁寧に縫ってくれてんの。新米先生っていたってねえ、将来の美容外科の大先生になる予定の先生なのよ。少しはだまんなさい。だれでもさ、細かい事しようと思ったら、ちょっとは手が震えるじゃない。わかんでしょ!」
「へえへえ、悪うござんしたね。」
さすが、ベテラン看護師。私は肩の力がすっと抜けるのを感じる。
「すみませんねえ、新米で」
余裕すら出てきた。先輩の方を見ると、目が笑っていた。
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入局し6〜10カ月を大学病院で研修すると、次に待ち受けるのは関連施設の総合病院での麻酔科研修、一般外科研修と整形外科研修である。約2年間形成外科から全く離れて、まず、「医師」になる研鑽を積むのである。
転勤の前日、医局長が言う。
「いいか、明日からは形成外科で習った事は一旦全て忘れろ。君が研修する科の先輩医師から習う事を忠実に守るんだ。」
6カ月の麻酔科、救命科研修を終えると、私は地方の消化器外科へ配属された。
しかし、私は医局長の言いつけを守らなかった。


一般に外科といえば消化器外科をさしているくらい、消化器外科の手術は多い。
特に私が赴任した病院の消化器外科は市内どころかこの地方の評判がすこぶる良い。外来は連日のおおにぎわいだった。
ある患者さんに聞いてみた。
「あなたの住んでいる所からこんなに遠いこの病院までよくいらっしゃいましたねえ」
「口コミですよ。なにしろ、とてもSS先生は評判がいいんですよ。うちの近所の方も命拾いをしたって・・。」
胃、大腸、虫垂、肝臓、胆嚢、すい臓、乳腺、食道、全てが消化器外科の範疇だ。ほとんど毎日、患者さんの腹を裂く。
消化器外科では内臓の手術が終り腹膜を閉じると、もうほとんど手術は終わったも同然な感じになる。最後の皮膚縫合はいたって簡易である。
そこで、私は消化器外科部長のSS先生にお願いをしたのだ。
「先生、皮膚の縫合を自分にやらせて下さい。で、もしできたら、形成外科的縫合を鍛練させていただけませんか?」
「もちろんいいだろう。しかし、練習という言葉は使うな。君ももうほんものの外科医なんだ。単純に手術をさせてくれでいいんだ。ただし、あまり時間をかけるなよ。OP室は忙しいのだから。よし、がんばれ!」
「ありがとうございます!」
毎日一例、大学病院の形成外科で習得した形成外科縫合方を実践してみる。
ほとんどが腹部の縫合である。もちろん内蔵の手術時は雑用に徹する。腹膜を閉じれば、私の出番だ。
「よおし!あとは縫っておいて。」
部長が手を下ろす。第一助手の先生が私に目配せをした。皮下の中縫合が終わると助手の先生も手袋を取りながら言う。
「あとは皮膚だけだからいいよな。じゃあな。」
これから勝負だ。実は中縫合をもっと細かくやるつもりなのだ。
もうだれにも遠慮することは無い。徹底的にきれいに縫うぞ。
これでさらにこの病院の口コミ評判度合がアップするのだ。
きもちだけが先行する。
ふと、首筋に視線を感じた。顔を上げる。
麻酔科の先生がうんざりした顔でこちらを見ている。首をめぐらすと、看護師達も「はよ、せんかい!」みたいな表情だ。
やっぱし、徹底的は無理か。医局長の言葉を思い出した。
しかし、私はこれも「無視」したのだ。
後日少しづつ麻酔科の若手医師や中央手術部の看護師と仲よくなったため、最初の頃の冷たい視線は無くなったが、私も少しは手を休めるようにもなっていた。
この頃産婦人科の若手医師一人が急に大学に帰っていき産婦人科では医師不足になっていた。そこで土曜日の午後と私の研修日さらに日曜の救急帝王切開等産婦人科の手術に参加させてもらうよう産婦人科部長に頼みに行った。もちろん、消化器外科には迷惑がかからない範囲でだ。
産婦人科部長はとても良い人物で快く引き受けてくれた。
「若い医者が僕の前に立っているだけでもいいんだ。」
どう考えてもうざったい私を笑顔で迎えてくれた。そればかりか、子宮の特殊縫合をやらせてくれたたり、3カ月もすると帝王切開そのものをやらせてくれた。おかげで3人の赤ちゃんを私は取り上げる事ができた。優秀な外科医は未熟者の扱いがうまい。すぐどなったり仕事に手を出したがる職人は先輩としてまだ師匠の域に達していないのかも知れない、そんなふうに感じてしまう、産婦人科部長の先生だった。もちろん患者さんからの評判が良いだけでなく病院スタッフからも信頼される先生だった。
私にも気を使ってくれて若い患者さんの腹部を心ゆくまで縫合させてくれた。その頃には麻酔科の先生も中央手術部の看護士達とも打ち解けあっていたから、多少の融通は付けてくれるようになっていたのだ。
この時の経験は私の美容外科職人としての礎を築いてくれたことは言うまでもない。
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こうしてこの2年間に縫合した皮膚の傷の長さは200mに達したはずだ。その後さらに6年にわたり、形成外科専門施設でこんどは形成外科専門医から直接指導をうけながら形成外科職人になっていく。
これが今ではフェイスリフトや二重まぶたの芸術的縫合技術に発展していくのだ。そして行き着くところは「美容外科職人」なのである。



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